ばばへの追憶

2012年10月13日 (土)

ババちゃまの三回忌

明日はババの三回忌。

お寺で行う。

今日は準備のため午前中は、

買い物で時間がつぶれた。

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昨晩から鼻水・頭痛があったので早めに休んだが、

今朝も継続していたので、置き薬の感冒薬を飲んだ。

午前中はまずまずの体調で過ごせ、

明日の準備で車が必要だからと、

夫を仕事に送り、

そのまま買い物をしたらすでに11:30過ぎになってしまい、

急いで帰宅した。

急いで帰ってきたところで、

誰もいない。

ジジは昨日同様、調子よくデイケアに出かけることができた。

ずーと続いていたお出かけ拒否はもうここでストップになったらいいのにねぇ~。

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ケアマネ受講試験が28日に控えている。

全然自信がない。

理由は、勉強できてないから・・・。

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2011年6月19日 (日)

形見分け

49日の忌明けにするつもりだったが、

やっと少しずつ、親戚にお分けすることができた。

私が嫁いだ頃は常に和服を好んで着ていた。

普段着が和装姿だった。

以前、記事にしたことあったが、

見知らぬ赤ちゃん連れの若いお母さんが、

「私、あなたみたいなおばあちゃんになるのが夢なんです。」

と、突然話しかけられたこともあった。

だからどんなにか、着物を持っているだろう・・・・と

想像してしまうが、そんなことはない。

古く高級品ではなく、あまりたくさんあるわけでもなかった着物を

自分なりにアレンジして大事に着ていた。

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透析を始めてからは、

パジャマ姿で過ごすことが多くなった。

そしてこの頃から、義姉がばばの衣服の管理はするようになり、

洋服にしろ、パジャマにしろ、あらゆる身に着けるものは

お金に糸目のないブランド品ばかりとなった。

そして、洋服でのおしゃれを楽しむようになった。

装飾品(貴金属・帽子など)もバライティーに富んでいる。

もちろん、義姉が購入してくれたものばかりだ。

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ってことで、ばばの形見分けは私が仕切るわけにはいかない。

義姉にたのんで、先日やっと一段落ついた。

私はばばの洋服には思い入れがない。

昔、来ていたぼろぼろになった着物とか、

普段パジャマの上にはおっていたフリースとか

そういったもを残しておきたい・・・・。

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ここ5年間のババとの思い出はあまり浮かばない。

子供達が小さかった頃の、

貧乏暇なししていた頃の、

あれこれとけんかしながらも、

二人で解決していったころの思い出の方が強い。

ばばからとうよりも、

義姉からいただいた、ばばの遺品は

帽子たくさん、ネックレス、スカーフなどなど・・・。

大事に使わせてもらうからね・・・ばぁちゃんheart04

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2010年11月 9日 (火)

当日

ババが帰ったのは25日午後11時過ぎていた。

ジジはババの隣に布団を敷いた。

息子はジジとは反対側に寝転んだ。

ジジとババのベットがある隣の部屋で

私はジジのベットで、

娘はババのベットで寝た。

ふすまを開けたまま、

ババが寂しくないように、

ジジが寂しくないように、

ふすまは開けたまま寝た。

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10月25日朝9時、

ババをいつものように透析に連れて行こうとしたが

体に全く力が入らなく一人での介助は無理だった。

夫を呼び二人で助手席に乗せた。

意識はあるが反応は鈍い。

顔色は10日前から次第に黄疸が濃くなってきている。

まだまだ大丈夫。

今日の透析と一緒に、

点滴を入れてもらえばまた元気になる・・・そう思っていた。

「今は体が大変かもしれないけれど、

透析に行けば、点滴してくれるから

直にまた元気になれるよ。」

ババにそう伝えた。

軽くうなずいた。

私はいつものように、

6階の透析室前に

車椅子に乗ったババをのこし

ベット周りの透析準備にとりかかろうとしていた。

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「○○さん! ○○さん! ○○さん!」

と叫ぶ看護士の声が聞こえて来た。

と、同時に十人あまりの看護士が慌ただしく

ババを取り囲み緊急にベットに移乗させ

意識レベル、バイタルを測定し、

主治医を呼んだ。

点滴を開始した。

婦長から昨日の状況を聞かれた。

記録を見ながら説明した。

主治医から

「今日はこのまま、救急車で○○病院へ搬送します。

透析できるレベルの段階ではありませんので・・・」

と告げられた。

23日(土曜日)に預かった消化器内科のドクターからの

報告書を手渡すと、

主治医の表情と言い回しが少し変化した。

看取りは何処を希望するかと聞かれた。

今まで何度も聞かれた言葉だった。

自宅でと希望していたが、

この段階では自宅では苦しむだけだから

病院で楽に逝かせてあげたい・・・と伝えた。

自宅にいる夫と

義姉に連絡し、

再入院する旨の連絡をした。

義姉は直に透析室まで来た。

救急車で○○病院まで

看護士2名と私が付き添い搬送された。

到着するとすぐに、消化器内科の担当医が

待機していてくださり

今後のババに起こりうる状態の説明と

以前より話合っていた対応について再確認された。

会わせておきたい人がいたら、至急連絡してください

とも伝えられた。

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午前中、遅番出勤の娘が立ち寄った時には

呼びかけにしっかりと反応し、

会話も成り立っていた。

ただ、ババからの言葉は力が入らなく吐息となってしまい、

発語にはならない。

娘と一緒に写メを撮った。

義姉とも一緒に撮った。

最後の写真になった。

午前中に、ババの姪っ子が三人会いに来てくださった。

午後より、ババの甥っ子二人が,、夫婦で入れ替わりに来て下さった。

ババは体中を痒がり、面会の方々みんなで擦ってくださった。

夕方になり心拍数がだんだん上がってきている。

二桁だったが三桁が常になってきている。

呼吸もかなり深く肩で息をするようになってきている。

途中ドクターの呼びかけに反応し

目を開けてといわれ

パッチリと目を開けた。

それからは、時々話し掛けるがうなずく程度の反応しかしなくなった。

眠いのかと思いそっとしておいた。

息子が仕事から帰ってきた。

ババは息子の声にはしっかり反応し目を開けた。

夫に連れられてジジも来た。

一番親しくしていたババの姪っ子も来てにぎやかになった。

午後七時ごろだった。

ババは荒くなった呼吸をしながら、

私とジジを交互に向き直る。

ジジに手を握られながら

言葉にならないがしきりに何か訴えかける。

「大丈夫だよ。ジジのことは大丈夫。

みんなでちゃんと大事にするから、安心して・・・・」

と伝える。

涙でババが見えなくなった。

ババはその後、眠ってしまった。

みながそう思った。

落ち着いたから・・・・眠ってしまったから・・・、

ひとまずジジは夫とともに自宅に帰った。

ババの姪っ子もひとまず帰った。

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モニターを見てみると、

三桁だった心拍数はみるみるうちに減ってくる。

正常値に戻ってきていると思った。

しかしとどまるどころか正常値を通過してどんどん低下してゆく。

ババはそのまま帰らぬ人となった。

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午後10時8分。

看護士が着替えと顔を整えてくださった。

ババの表情は穏やかで微笑していた。

本当に眠るように逝ってしまった。

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