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2010年11月に作成された記事

2010年11月30日 (火)

情報収集

ヘルパーの資格の勉強をしている時、

介護は○○○○から始まる。

個々に何が入るか?

という質問をされたことがる。

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プロの介護者は

ここには情報収集だということを

教わった。

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今日、新入居する方があった。

前回とはまた違う方ね。

新入居者対応のスケジュールの入っていたわたしは、

ファイル持参して入居者Aさんの情報を収集した。

事前の情報には

昼夜オムツ対応となっていた。

持参している荷物には

オムツは一枚。

リハビリパンツが数枚あった。

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本人に確認する。

オムツはめてるという。

そして、

シルバーカーを持ってこなかったことにこだわりを持っていた。

シルバーカーを押してリハビリをしていた

と言われる。

私の中の事前情報と食い違いが生じる。

昼夜オムツの方は

立位がとれなく

トイレ介助できない・・・はず。

歩行訓練しているというのは・????

本人からは、

認知が少々はいっている為、

確実なことは聞き出せない。

矛盾を感じ、

事務所に確認すると

昼間リハビリパンツ使用して

トイレ誘導可能だとのこと。

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念のため、

本人にシルバーカーを持って立ち上がっていただこうとするが、

一人では立ち上がれない。

足も運ぶことも不可。

一部介助にて立ち上がり可能。

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高齢者のADLは常に変化する。

直前の情報と、

確認は確実に必要であることを

改めて感じた日だった。

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2010年11月27日 (土)

新入居者対応

勤務先での私の今日のスケジュールは、

午前中は1階の見守り。

午後から、お風呂の中介助、

15時から、新入居者対応だった。

新しく入居される方への居室案内、

情報収集、持ち物の名前確認が主な仕事。

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わが職場での入居者対応での

メインの仕事は持ち物の名前確認。

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上等の衣類はクリーニングに出す。

日常の衣類の洗濯はたいてい施設の洗濯室で

私たち介護職員が行う。

家庭用の洗濯機4台、乾燥機4台設置されている。

洗濯担当は、1階見守りが行い、

入浴日には誘導係りも手伝う。

入浴日以外は洗濯物は少ないが、

入浴日となると、

みなさん衣類一式着替える。

機械浴の日は入浴人数が少ないだけまだよいが、

一般浴の日となると、

それはそれは、もう大変。

・・・・・・洗濯の話でなく、

今日は新入居者対応の話ね。

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ということで、なぜ名前の確認を念入りにするかというと

この洗濯に関係して・・・・のこと。

衣類に名前がなかったりすると大変なことになる。

名無しの洗濯物が発生すると、

入居者一人ひとりに確認して回り、

持ち主を探さなければならなくなる。

何回も洗濯重ねると名前も消えていく。

施設の洗濯室には

持ち主不明の洗濯物が

山のように溜まっている。

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本人様に確認していただくが、

自分の衣類の判断がつく方は少ない。

定期的に、ご家族来館されたときに

陳列して持ち主探すがほとんど見つからない。

・・・・・で、

この持ち主不明の衣類はどうすることもできないので、

洗濯室に山のように溜まってしまっている。

一番多いのは、靴下・・・・かな。

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2010年11月26日 (金)

携帯料金

携帯料金の明細送付はオプションで契約していない。

だから最近明細を見ていない。

一ヶ月の料金は大体同額くらいと思っていたら

今月の請求は非常に多かった。

確認してみると、

私の番号だけで8500円くらいだった。

そんなに使用しているわけでないのに

なぜこんなに高い?

詳細確認してみることにした。

細かな項目がいくつもあり

なにがどういう機能なのか不明・・・・。

通話とメールだけできれば十分なので、

そうしたいけれど、

どう手続きしたらいいのか・・・?

ネットでの変更はあきらめ、

ショップに行って確認することにした。

島国携帯について書かれた記事あったけど、

日本の携帯は他国では受けが悪いらしい。

今月は家族3人で4万以上の請求がきた。

どなたか安くなる方法伝授してください・・・。

ちなみに我が家ソフトバンクのホワイトプランなんですが。

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2010年11月25日 (木)

風邪かな?

ここ二・三日不調である。

朝、さっと起きられない。

のどの痛みもある。

夫の風邪をもらってしまったらしい。

年齢のせいか、

風邪をひくと一週間は不調が続く。

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先月、高校2年生のクラス会を開催する旨の通知が来た。

確か、今週末の土曜日か日曜日だったと思うが定かではない。

一連の我が家の事情で、ハガキも何処に行ってしまったか???

幹事さんには、メールで欠席の通知はしておいた。

懐かしいし、地元ローカル線を使っての紅葉を楽しめる企画だった。

参加したかったけれど、あきらめた。

担任にちなんで○○会と銘うってあった。

なつかしいな~・・・。

みんなどうしてるんだろう?

それにしても、3年生でなく2年生のクラス会とは

楽しいクラスだったとは記憶しているけどね。

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ババが元気だった9月から

病変するまで毎日応募していたロッテの懸賞に

どうもはずれてしまったらしい。

待っても待っても通知はこない・・・・。

懸賞は韓国旅行なんだけどね。

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偶然

10月28日

小雨がばらつき、肌寒い日だった。

ババが炉に入る瞬間、

もう会えない・・・

そう思うと目が潤んだ。

待ち時間は2時間。

参列できないと思っていた実家の父母がお別れに来てくれた。

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当日連絡がとれなかった父母が

ババが帰った翌日の26日早朝訪れた。

母とは2日ぶりだった。

ババが退院した翌日の24日、

亡くなる前日、

自宅に姉と一緒に見舞いに来てくれた。

ババはまだまだ気力があり

元気もあり、

母が帰ろうとするのをとめ

涙を流して会話していた。

あまりにも早い別れに母は驚いた。

義伯母(母の義姉)も26日早朝亡くなったことを聞かされた。

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ババと義伯母の葬儀が重なった。

ババの葬儀場の案内表示が立てられていた。

その隣に、

I 葬儀場の義伯母の案内の看板が

並んで立てられていた。

何か不思議な感覚だった。

父母は義伯母の葬儀に参列し、

弟夫婦がババの葬儀に参列してくれた。

30分の時間差で告別式が始まり、

火葬場での待ち時間に、

義伯母の遺骨を

私たち兄弟は拾う事ができた。

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小雨の降る肌寒い一日だった。

ババは小さな骨壷におさまって

帰宅した。

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2010年11月 9日 (火)

当日

ババが帰ったのは25日午後11時過ぎていた。

ジジはババの隣に布団を敷いた。

息子はジジとは反対側に寝転んだ。

ジジとババのベットがある隣の部屋で

私はジジのベットで、

娘はババのベットで寝た。

ふすまを開けたまま、

ババが寂しくないように、

ジジが寂しくないように、

ふすまは開けたまま寝た。

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10月25日朝9時、

ババをいつものように透析に連れて行こうとしたが

体に全く力が入らなく一人での介助は無理だった。

夫を呼び二人で助手席に乗せた。

意識はあるが反応は鈍い。

顔色は10日前から次第に黄疸が濃くなってきている。

まだまだ大丈夫。

今日の透析と一緒に、

点滴を入れてもらえばまた元気になる・・・そう思っていた。

「今は体が大変かもしれないけれど、

透析に行けば、点滴してくれるから

直にまた元気になれるよ。」

ババにそう伝えた。

軽くうなずいた。

私はいつものように、

6階の透析室前に

車椅子に乗ったババをのこし

ベット周りの透析準備にとりかかろうとしていた。

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「○○さん! ○○さん! ○○さん!」

と叫ぶ看護士の声が聞こえて来た。

と、同時に十人あまりの看護士が慌ただしく

ババを取り囲み緊急にベットに移乗させ

意識レベル、バイタルを測定し、

主治医を呼んだ。

点滴を開始した。

婦長から昨日の状況を聞かれた。

記録を見ながら説明した。

主治医から

「今日はこのまま、救急車で○○病院へ搬送します。

透析できるレベルの段階ではありませんので・・・」

と告げられた。

23日(土曜日)に預かった消化器内科のドクターからの

報告書を手渡すと、

主治医の表情と言い回しが少し変化した。

看取りは何処を希望するかと聞かれた。

今まで何度も聞かれた言葉だった。

自宅でと希望していたが、

この段階では自宅では苦しむだけだから

病院で楽に逝かせてあげたい・・・と伝えた。

自宅にいる夫と

義姉に連絡し、

再入院する旨の連絡をした。

義姉は直に透析室まで来た。

救急車で○○病院まで

看護士2名と私が付き添い搬送された。

到着するとすぐに、消化器内科の担当医が

待機していてくださり

今後のババに起こりうる状態の説明と

以前より話合っていた対応について再確認された。

会わせておきたい人がいたら、至急連絡してください

とも伝えられた。

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午前中、遅番出勤の娘が立ち寄った時には

呼びかけにしっかりと反応し、

会話も成り立っていた。

ただ、ババからの言葉は力が入らなく吐息となってしまい、

発語にはならない。

娘と一緒に写メを撮った。

義姉とも一緒に撮った。

最後の写真になった。

午前中に、ババの姪っ子が三人会いに来てくださった。

午後より、ババの甥っ子二人が,、夫婦で入れ替わりに来て下さった。

ババは体中を痒がり、面会の方々みんなで擦ってくださった。

夕方になり心拍数がだんだん上がってきている。

二桁だったが三桁が常になってきている。

呼吸もかなり深く肩で息をするようになってきている。

途中ドクターの呼びかけに反応し

目を開けてといわれ

パッチリと目を開けた。

それからは、時々話し掛けるがうなずく程度の反応しかしなくなった。

眠いのかと思いそっとしておいた。

息子が仕事から帰ってきた。

ババは息子の声にはしっかり反応し目を開けた。

夫に連れられてジジも来た。

一番親しくしていたババの姪っ子も来てにぎやかになった。

午後七時ごろだった。

ババは荒くなった呼吸をしながら、

私とジジを交互に向き直る。

ジジに手を握られながら

言葉にならないがしきりに何か訴えかける。

「大丈夫だよ。ジジのことは大丈夫。

みんなでちゃんと大事にするから、安心して・・・・」

と伝える。

涙でババが見えなくなった。

ババはその後、眠ってしまった。

みながそう思った。

落ち着いたから・・・・眠ってしまったから・・・、

ひとまずジジは夫とともに自宅に帰った。

ババの姪っ子もひとまず帰った。

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モニターを見てみると、

三桁だった心拍数はみるみるうちに減ってくる。

正常値に戻ってきていると思った。

しかしとどまるどころか正常値を通過してどんどん低下してゆく。

ババはそのまま帰らぬ人となった。

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午後10時8分。

看護士が着替えと顔を整えてくださった。

ババの表情は穏やかで微笑していた。

本当に眠るように逝ってしまった。

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